ラジオ放送局 ゆめのたね

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【ゆめのたね × SDGs】DJ SHIHOが伝える「心のバリアフリー」

2024年7月1日


ピアニスト西川悟平さんが毎年ゲスト出演

西川悟平さんと言えば、世界中から注目を集めるピアニスト。

彼は、輝かしいキャリアの途中で難病に冒されながらも、懸命なリハビリを経て7本指で再起を果たしたこともあり、近年では「奇跡の7本指のピアニスト」とメディアで紹介されることもあります。2021年夏「東京2020パラリンピック閉会式」で大トリを務めたこともあり、彼のピアノの音色は日本中の人の記憶に強く残っています。

彼が2019年から毎年ゲスト出演してくれているゆめのたね放送局の番組をご存じでしょうか? その番組とは、DJ SHIHOがパーソナリティを務める「心バリバリDANCING」です。番組コンセプトは「心のバリアフリー」。2015年から放送しているゆめのたね放送局の人気番組なんです。



大阪府枚方市で行われた西川さんのコンサートで初顔合わせをした2人。その後、毎年のゲスト出演を経て、今では「悟平ちゃん」「SHIHOちゃん」と掛け合うリラックスしたトークが展開されます。(2024年は11月に放送予定)

DJ SHIHOは、21歳の頃、兵庫県神戸市長田区の多文化・多言語コミュニティ放送局「FMわぃわぃ」ボランティアディスクジョッキーへの応募をきっかけにレギュラー番組を担当し、その後、FM MOOVでも番組を持つようになりました。そして30代半ばからはディスコDJ活動を本格化させていきます。関西を拠点としつつも関東にも活躍の場を広げ、大活躍されています。

DJ SHIHOが口癖のように語り、番組でも伝えているのが「心のバリアフリー」。この意味を深く理解するために、彼女の幼少期から青年期までを辿ってみたいと思います。




恥ずかしがり屋の少女がDJ SHIHOに生まれ変わった日

DJ SHIHOこと長野志保さんは、小学生の頃から車椅子での生活をしています。4歳半頃から少しずつ歩けなくなり、成長するにつれて手もだんだん不自由に。ただしその病名がわかったのは彼女が42歳の時でした。病名は、遺伝性ジストニアの一種である「瀬川病※」。日本では250人程度の方が診断されていて、およそ50万人に1人の頻度でと考えられています。 
(※平成27年から難病医療助成制度の対象疾病:ジストニアというのは、筋肉の緊張が強く上手く動かすことが出来ない状態で、瀬川病は、主としてこのジストニアを呈しますが、他にも手が震える、身体がこわばる、勝手に動いてしまう、等の症状を呈することがあります。)

志保さんは子どもの頃から大の恥ずかしがり屋で、他人がいるとすぐ母親の陰に隠れてしまうようなタイプだったそうです。そんな彼女が、21歳の時、まさに雷に打たれたような瞬間を経験します。障がい者ツアーで中国・上海に行った先での出来事でした。

当時の上海では、車椅子を使っている人が街中にいるのが珍しかったようでした。旅行中のある時、志保さんを見つけた現地の方たちが四方八方から集まってきました。中にはレストランの厨房から仕事の手を止めて出て来た料理人もいたそうです。異国の地、異国の人たちに急に囲まれた彼女。どこにも隠れるところはありません。

その時、私の心の中で何かがパンとハジけた感じがしました。」

志保さんは当時のことをハッキリとそう表現します。沢山の人に興味本位で囲まれ、中には奇異な目で見てきた方も多かったことでしょう。しかし、彼女はそんな多くの人の視線を浴びたとき、恥ずかしさを通り越して、自分の中から新しい感情が湧き上がってきたのです。

「障がい」というバリアのせいで人からの視線を気にしていた彼女は、その日以来「私は女優よ」と人目をポジティブに捉えられるようになったのです。それがたとえ「障がい」がきっかけで注目を集めたとしても、彼女はもう気になりません。

今思えば、長野志保さん自身の「心のバリア」が溶けたその日こそ、未来のDJ SHIHOが生まれた誕生日だったのかもしれません。




まちぐるみのバリアフリーに取り組む明石市を発信

そんなDJ SHIHOの暮らす街は、兵庫県明石市。日本の中でも「まちぐるみのバリアフリー」を率先している自治体としても有名です。

明石市は、2016年4月、障害者差別解消法の施行に合わせ、全国に先駆けて「手話言語・障害者コミュニケーション条例」「障害者に対する配慮を促進し誰もが安心して暮らせる共生のまちづくり条例」(通称:障害者配慮条例)を施工しました。さらに同年、全国で初めて「公的助成制度※」も導入したことも成果を挙げています。
(※筆談ボード、スロープ、点字メニューの作成、手すり設置工事の費用を、飲食店や美容院といった民間事業者、地域の公民館や集会所などへ積極的に補助している)

2020年3月には「明石市ユニバーサルデザインのまちづくり実行計画」も策定。まさに明石市は「まちぐるみのバリアフリー」を率先している自治体なのです。

DJ SHIHOは、そんな明石市のバリアフリーの取り組みの魅力を発信すべく、2023年4月まで明石市長を務めた泉房穂さん(現タレント・弁護士)へ直接オファーをします。

粋に感じてくださった泉房穂さんは市長退任後、番組「心バリバリDANCING」にゲスト出演。明石市の取り組み、そしてその奥に流れている「誰にでも優しい明石のまちを作りたい」という想いを熱く語ってくださり話題になりました。




「心のバリアフリー」が広がるとき、障がいは障害ではなくなる

DJ SHIHOの番組「心バリバリDAICING」には、この9年間、志を同じくする音楽界の魅力的なゲストの方々が出演しています。そのうちの1人がDJ OSSHYさん。

80`sディスコ伝道師であり、MCとミキシングを両方こなすDISCO DJのスペシャリストです。彼は、親子で楽しめる「ファミリーディスコ」、高齢者向け「シルバーディスコⓇ」、そして世代や人種・性別・障害などを越えて、すべての人が楽しめるイベント日本初「ユニバーサルディスコ」を行うなど、ダンスミュージックを通じたバリアフリーなアクションを展開されています。

「障害のある方も無い方も、誰もが平等に輝く今この時を共に、キラキラした空間でディスコ音楽と踊りを一緒に楽しめたら」。

DJ OSSHYさんはそう語ります。

「心バリバリDAICING」を聴くたびに、DJ OSSHYさんのような素晴らしいゲストの方たちと出会えるはずです。そして日本中に「心のバリアフリー」が広がっていくのを実感できるのではないでしょうか。


    ※DJ OSSHY 公式サイトより

「障害の社会モデル」という考え方があります。

一般的には「立って歩けない」「目が見えない」などの心身機能の制約を「障害」と捉えられがちです。しかし社会や環境の偏見・思い込み・制度・仕組みが「障害」を作り出している面が大きい。この捉え方が障害の社会モデルです。

「心のバリアフリー」とは、共生の社会に向けて、障害の社会的バリアを取り払っていくことなんですね。

海外の旅先で、見ず知らずの人同士が挨拶をしたり声を掛け合う場面を見た方も多いと思います。一方、日本ではお互い恥ずかしがっているからか、街中で優しい一声をかける文化が定着しているとは言えません。

例えば、障がいを持っている人が「すいません。」といえば、パッと誰かが動いてくれる。階段があれば車椅子の人をフッと手伝ってくれる。・・・ほんの少しの「恥ずかしさ」や「障がいのある方にどう接すればいいのか」といった不安のバリアを溶かしてみよう。

そして、彼女がこう話してくれたのが印象的でした。

『困っている人へ周りの人が気軽に声をかけ手伝ってあげる。そんな日常が当たり前になったら、もし通路に大きな段差があっても、私たちにとってそれはもう「障害」ではありません。』

DJ SHIHOにも「心のバリア」が溶けた瞬間がありました。今度はわたしたちが「心のバリア」を溶かして広げていく番なのだと思います。


・DJ SHIHO / 心バリバリDANCING が貢献するSDGsゴール



・ゴール3   すべての人に健康と福祉を
・ゴール10    人や国の不平等をなくそう
・ゴール11    住み続けられるまちづくりを
・ゴール16 平和と公正をすべての人に


執筆:幸田リョウ (ゆめのたね放送局アドバイザー/株式会社PARK STARS 代表取締役)

ゆめのたね放送局は、2015年6月の開局から8年で全国12スタジオに広がり、ラジオ番組企画・配信を活かした「人の夢を応援するコミュニティ」も広がりを見せています。この連載【ゆめのたね × SDG】では、コミュニティデザインを専門とする私 幸田リョウの視点を交え、各地に広がる社会貢献の活動をご紹介していきます。ゆめのたねパーソナリティの番組企画・貢献活動にますますご注目いただければ幸いです。